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ソフテックだより 第316号(2018年10月17日発行)
現場の声編

「八戸事業所開設から30年を迎えて」

昭和63年9月1日の開設から、ちょうど30年

ソフテックだより第310号にて、ソフテックが昭和62年(1987年)10月1日に創立したこと、創立30周年記念行事の伊勢神宮参拝をご紹介しました。
八戸事業所は、創立の翌年、昭和63年(1988年)9月1日に開業しましたので、今年9月1日に、ちょうど30年を迎えました。
事業所開設にご協力いただいた皆様、これまでの事業所運営にご支援をいただいた皆様に感謝申し上げます。
今回のソフテックだよりでは、30年を迎えた八戸事業所に関する出来事を、いくつかご紹介したいと存じます。

開設の目的は人材確保

来所されるお客様に対して、八戸事業所を紹介するたびに、「どうして八戸に事業所を作ったのですか?」とのご質問をいただきます。
最大の目的は「人材確保」です。

開設当時の新聞折込チラシ
図1. 開設当時の新聞折込チラシ

ソフテック創立当時は、まだバブル崩壊前で、ほとんどの中小企業は理系学生の採用に苦心しておりました。インターネットは普及していないので、各大学の就職課に求人票を提出して、研究室の先生から学生を紹介してもらうわけですが、僅か9名で創業したソフテックには、「ツテ」がありません。
地方に拠点があれば、地元の理系学生が採用できるだろうと判断し、青森県、八戸市、八戸工業大学などとの関わりから、八戸を進出先に選んだと聞いております。「聞いております」と書いたのは、私自身が八戸事業所開設後に入社した地元出身者だからです。
開設後は、青森県内の出身者、青森県内の大学卒業者を採用しており、今では全社員の約60%が青森県に縁があります。

開設当初の八戸事業所の様子

八戸市中心街の広沢ビル(現NCビル)5階の1室にて、エンジニア4人で業務を開始しました。

開設当時に入居していた広沢ビル(現NCビル)
図2. 開設当時に入居していた広沢ビル(現NCビル)

4人は、ソフテック本社から転勤し、Uターンした地元出身者でしたが、1年ほどは東京への出張が多く、4人が揃うことは稀でした。私も、内定者研修のために、当時の八戸事業所を何度か訪問したのですが、20坪ほどの所内に2人しか居ないこともありました。今ならば、FAXと電話だけでソフト開発の情報共有を行うのは非常に大変であり、ソフテック本社や東京のお客様のところへ出張せざるを得なかったのだと理解できますが、当時の私は「本当は八戸事業所に何人居るのだろう?」と不安になったことがありました。

開設した翌年には、私を含めた9名の地元出身者を新卒採用し、その後も順調に新卒採用ができるようになりました。新卒の多くは、本社勤務を経てからUターンするのですが、毎年八戸事業所の人数は増えていき、ビル内の部屋数も開設当初の1室から、2室、3室と拡大していきます。
平成8年(1996年)には所員数25名を超え、システムをデバッグするための機材も多くなり、別の階に会議室兼倉庫として、もう1室借りなければならない状況となりました。

ハイテクパークへの移転

八戸事業所開設後、平成3年(1991年)に、八戸市北インター工業団地の一角に「八戸ハイテクパーク」が造成され、縁あって土地を取得しました。

ハイテクパークは、研究所や情報サービス業など産業の「頭脳部分」の地方集積を狙った頭脳立地法に基づいて各地に整備されました。八戸ハイテクパークには、ソフトウェア業、情報処理業、通信機器製造業、精密機械製造業などが立地しており、現在は周辺地域を含めて「八戸グリーンハイテクランド」と呼ばれております。

当社では、業績などの様々な理由から、中心街の広沢ビルで業務を続けておりましたが、平成9年(1997年)になり、ついにハイテクパーク内への新築移転を決定しました。システムを組み上げてテストを行うことが厳しくなるなど、スペースの不足が大きな問題となっていました。

私は当時、事業所長代理の立場でしたが、建築のことも事業所移転のことも知識がありませんでした。本社に居られる田原道夫社長(現会長)から毎日のように依頼を受けて、業者に確認して報告したり、建築現場の写真を撮って送ったりという対応を何ヶ月も続けたことを覚えています。

建築途中の八戸事業所社屋
図3. 建築途中の八戸事業所社屋

市役所の建築検査が完了し、新社屋が竣工したのは平成9年12月16日です。雪が積り始める時期までに、何とか間に合わせてもらいました。
所員全員と引越し業者で移転を進め、3日後の12月19日には、新社屋で通常業務ができるようになりました。もう20年経ちましたが、バタバタしながらも、全所員が一致団結して、移転に取り組んだことを覚えています。普段のシステム開発は数人程度のチームで進めるため、全所員で一緒の作業を行うことは、私にとって貴重な良い経験でした。

現在の八戸事業所社屋
図4. 現在の八戸事業所社屋

移転後、事業所に来所された方から「木材の香りがイイですね」とか「木造の建物は、優しい雰囲気がしますね」と、木造の建物を褒めていただく機会が多いのですが、実は、その度に少し気恥ずかしくなっていました。
当初は、鉄筋コンクリート造で計画したのですが、あまりにも見積もりが高く、ソフテックが賄える予算に収めるには木造に変える必要があったのです。
木造のため、湿度の変化で屋内の扉が歪むとか、重量物を置いている床が撓むなど、いろいろと注意は要るのですが、建築から20年が経ち、周囲の緑あふれる風景と合う、味わい深い建物になったと感じています。


「八戸事業所開設から30年を迎えて」と題して、開設から10年余りの出来事をご紹介しました。その後につきましては、次の機会に触れたいと存じます。

これからも、地元の人材を積極的に採用し、育成しながら、日本中に向けたシステム開発の拠点となるよう、八戸事業所を運営して参ります。ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

株式会社ソフテック 八戸事業所長
種市 航


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