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私は八戸事業所に勤務する入社20年超の社員です。
私は約20年の間に本社事業所・八戸事業所に在籍し、現在の本社事業所(新宿区四谷)・八戸事業所(ハイテクパーク)が移転する前の事業所にも在籍したことがあります。
今回は約20年を振り返って、各事業所での思い出などを書いていきたいと思います。
私は青森県八戸市にある情報処理の専門学校を卒業し、1995年(平成7年)にソフテックに入社しました。ソフテック創立8年目の年でした。
ソフテックは本社事業所と八戸事業所があり、私は本社事業所への配属となりました。私が入社したときの本社事業所は東京都府中市にあり、株式会社 田原電機製作所の敷地内に事務所がありました(ソフテックは田原電機製作所のソフトウェア開発部隊が分離独立して創立)。
入社時の本社事業所の社員は約25名いましたが、そのうち入社1〜3年目の社員が約6割という状況でした。若手社員が大勢いたため活気がありましたが、今思うと学校のような感じだったかもしれません。
また、社員寮が埼玉県所沢市にあり、ほとんどの社員が寮に入っており、私がいた寮には約15名が入寮していました。
今でも飲み会があると寮で起こった出来事の話で盛り上がります。入寮者には良い思い出となっています。
図1. 1997年当時の本社事業所(府中市)の様子
入社して1年が過ぎたころ、一緒に仕事をしていた先輩社員が八戸事業所に転勤することになりました。一緒にやっていた仕事は先輩社員1人ではこなせる仕事量ではないことと、私が未熟であったため離れて同じ仕事をするのは難しいということもあり、私も一緒に八戸事業所に転勤することに決まりました。
ゆくゆくは八戸事業所勤務という気持ちはありましたが、1年で転勤はちょっと早いなと思ったのを憶えています。
後輩社員が入社してきてようやく1番下の状況から抜け出せましたが、八戸事業所ではまた1番若手に逆戻りでした。
当時の八戸事業所は八戸市中心街にあるビルの一室にあり、八戸事業所の社員数は約15名でした。
八戸事業所の社員は本社事業所に比べて年配の方(といっても30代・40代ですが)が多くいました。八戸事業所社員とは電話で話をすることはありましたが、転勤して初めて会う人もおり、ようやく全社員の顔と名前が一致しました。
八戸事業所は年配の方が多かったせいか落ち着いた雰囲気で、集中して仕事ができる環境だと感じました。
私が転勤してから半年後くらいに本社事業所から4〜5名が八戸事業所に転勤、翌年には新入社員が4名入り、少し賑やかになりました。
八戸事業所へ転勤して1年くらい経ったころ、ハイテクパークへの移転が決まったと聞きました。数年以内にハイテクパークへ移転することは聞いていましたが、あまり話が聞こえてこなかったので、ようやく決まったかという思いでした。
八戸事業所が入っているビルから徒歩圏内にアパートを借りて住んでいたため、通勤には車は必要ありませんでしたが、ハイテクパークへの通勤は車が必須です。
ペーパードライバーだったためとても不安がありましたが、中古車を購入し、練習を重ね、移転までになんとか乗れるようになりました。転勤がなければ、車を運転することもなかったと思います。
ハイテクパークの八戸事業所の第1印象は「広い」でした。
当時、大きな盤(高さ170cm×幅50cm×奥行き50cmくらい)を複数使ったシステムの開発を行っていたので、作業スペースが広くなったことでとても作業が快適になりました。
また、山や緑に囲まれた環境で落ち着いて仕事ができます。虫が多いのと、ハイテクパークだけ雪がよく積もるのが難点ですが。
図2. ハイテクパーク移転から1週間後の八戸事業所の様子
ハイテクパークに移転して2年くらいたったころ、長期出張の仕事でなければ私の仕事が確保できない状況になり、長期出張を余儀なくされました。
ちょうどこの頃、本社事業所が府中市から新宿区歌舞伎町に移転しました。
出張の初日、顧客との打ち合わせを終えたあとに本社事業所を訪れました。
歌舞伎町は歓楽街というイメージしかなかったので、一体どんなところで仕事をしているんだろうと思っていましたが、靖国通りに面していることもあり、歓楽街というイメージはまったくありませんでした。
長期出張中は月曜日〜木曜日まで出張先の会社で仕事をし、金曜日は本社事業所で仕事をしました。
長期出張が数ヶ月続いたころ、ほぼ本社事業所に在籍していることに変わりがない状況であったため、そのまま本社事業所に転勤することになりました。
長期出張が終わり、希望すれば八戸事業所への転勤も可能でしたが、本社事業所勤務希望であればそれでも問題ないということでしたので、そのまま本社事業所勤務を希望しました。
本社事業所は靖国通りに面していることもあり騒がしかったですが、まだ若かったせいか都会の喧騒の中で仕事をするのも悪くはないなと思いました。
また、数分歩けば歓楽街という場所柄、飲みすぎて少々羽目を外してしまった日もあったかもしれません。実際、酒に呑まれてしまった社員もいたようです。(ソフテックだより第184号の「4. 誤解が招いた大失敗」参照)
図3. 2004年当時の本社事業所(新宿区歌舞伎町)の外観
本社事業所勤務も5年くらい経ったころ、八戸事業所への転勤の話が出ました。
特に転勤希望を出していたわけではありませんでしたが、八戸事業所勤務のことも考え始めていた頃だったので良いタイミングだったと思います。
八戸事業所自体は特に変わった様子はありませんでしたが、やはり作業スペースが広く快適でした。
開発するシステムの規模も徐々に大きくなってきているため、作業スペースが広いというのは1つの利点だと思います。
最近では、テレビ会議システムやWeb会議システムも導入され、本社事業所・高松事業所社員はもちろん、お客様とも離れていても打ち合わせができるようになり、最初の八戸事業所勤務のときより距離を感じることが少なくなったと思います。
私とソフテックの歩みを整理すると以下のようになります。
年代 | 年 | ソフテック 創立 |
私 | ソフテック |
---|---|---|---|---|
1990 | 1995 | 8年 | 入社、本社事業所(府中市)へ配属 | |
1996 | 9年 | 八戸事業所へ転勤 | ||
1997 | 10年 | 八戸事業所がハイテクパークへ移転 | ||
1999 | 12年 | 本社事業所が新宿区歌舞伎町へ移転 | ||
2000 | 2000 | 13年 | 長期出張〜本社事業所へ転勤 | |
2004 | 17年 | 八戸事業所へ転勤 | ||
2007 | 20年 | 本社事業所が新宿区四谷へ移転 | ||
2010 | 2015 | 28年 | 香川県高松市に高松事業所開設 | |
2017 | 30年 | 現在、八戸事業所に勤務 |
表1. 私とソフテックの歩み
何度も転勤した話を書いたので転勤が多いというイメージを持たれたかもしれませんが、現在の八戸事業所へ転勤してから12年が経ちます。
私が入社した当時は入社3年以内の未熟練者が6割という状況(ソフテックだより第238号の「4. 人材の育成」参照)で管理者は大変だったことが想像できます。そういう状況であったため、私や私以外の転勤者も転勤を余儀なくされたのかもしれません。今のソフテックは35歳以上の社員が約6割なので、当時の状況からだいぶ変わったなと思います。ソフトウェア技術者の35歳定年説という噂がありますが、ソフテックに関して言えば35歳定年説というのはないと思います。
入社から20年を思い出しながら振り返ってみました。
とても遠い昔のような感じもしましたが、あっという間の約20年だったと思います。
入社当時と今とを比べて変わらないことと言えば、今でもプログラムを作っているということでしょうか。プログラミング以外の仕事が多くなり、作る量は減ってきてはいますが、プログラムを作りたくて入社したので、今後もプログラムを作り続けていけたらと思います。
約20年、この仕事を続けられてきたのは、まわりの方々のご指導・サポートのおかげです。また、仕事をご依頼いただけるお客様がいらっしゃるからこそ、今のソフテックおよび自分があると思います。ありがとうございます。
引き続き、より良いシステムを開発できるよう頑張っていきたいと思います。
(M.A.)
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